本日は私のWEBサイトにお越しいただき、ありがとうございます!
私は1日1回笑うことを大事にして日々過ごしています!
笑うこと笑顔になる事で無理やり前向きに過ごす努力をしています笑
笑う門には福来る! 毎日無理やりでも笑顔!
笑っていれば何とかなる!
笑顔こそが私の最大の武器です!
この笑顔を武器に私はスーパーで勤務しています!
しかし、35歳になってもまだ
「スキルなし、役職なし」さらに「独身」の会社員です。
こんな私がなぜこのタイミングでWEBマーケティングを学ぼうと思ったのか
自己紹介と共にお話させていただきます。
よろしくお願いします!
基本情報
名前:ゆうた
生年月日:1987年11月27日
出身地:兵庫県
職業:スーパーの従業員(正社員)
趣味:スポーツ観戦 (特に球技が好き)
性格:八方美人(友人からはなぜか腹黒いといわれます)
自分のテーマソング:
歌詞の中に出てくる「人生を笑え」という言葉が好きなのと
この曲を聴くと元気が出ます!
幼少期~中学1年生
野球が好きな少年時代
私はサラリーマンの父と専業主婦の母と4つ下の弟がいる
一般的な家庭で生まれ育ちました。
父が野球部だった影響で昔から遊ぶおもちゃはバットとボールでした。
ボールを投げてはふすまを破り、母に毎日怒られていた記憶があります。
父の英才教育を受けた私は小学校ではソフトボールチームに6年間加入し、
キャプテンを務めるほど元気で常にみんなの輪の中心にいる少年でした。
中学生になり、野球部に入部しました。
ゴルゴ13の主人公のデューク東郷のような先生のもとで
毎日チームメイトと過酷な練習に耐えながらも日々楽しみながら過ごしていました。
真面目に練習していたことが評価されたのか
1年生の秋ごろから途中出場ですが試合に出場させてもらうようになりました。
部員が120名いる中で出場させてもらってたのですごく嬉しかったですし、
やる気に満ち溢れていました。
ところが、
1年生が終わる3月頃、転機が訪れました。
父の転勤で高知県に転校することになりました。
この事実を聞いた当時の私はひざから崩れ落ちて号泣しました。
「友達と離れるのは嫌だ」
「せっかく頑張って試合にださせてもらっているのに」
「これからレギュラー目指すのに」
「えっ?高知県?どこやねん?」
高知県の方がこのブログを読まれていたらすいません。
今は大好きです!
中学2年生~中学3年生
転校をきっかけに性格に変化が
高知県に転校してきた私はショックが大きすぎて
何もやる気の起きない無気力な状態でした。
追い打ちをかけるように、
転校初日にある体験をしたことで人と話すことが怖くなりました。
転校初日、学校に行くと兵庫県から転校生が来ることが噂になっていました。
教室に入る前から他のクラスから覗きに来るぐらい盛り上がっていました。
自己紹介の時間になりクラスメイトの前に立った時にこんな声が聞こえてきました。
「なんかおもしろいことするのかな」
「関西人だから絶対おもしろいって」
「なんかギャグとかあるのかな」
理想の関西人のイメージが強すぎてびっくりしました。
高知県でも放送されていた大好きな吉本新喜劇を生まれて初めて恨みました。
私が「ゆうたです。よろしくお願いします。」と挨拶して終わると
「なに今のおもんな」
「期待して損した」
「なにがしたいの」という声が聞こえてきました。
当時の私はこの言葉を受け流すことができず、
この日を境に私は人と話すことが怖くなって、クラスメイトと話をせず、
休み時間も一人で過ごしていました。
家では「学校に行きたくない」と言いながら毎日泣いていました。
家の壁を殴り続けたり、頭をぶつけ続けたり
精神状態が不安定でした。
母には一番迷惑をかけました。
私に母は毎日声をかけてくれました。
「学校だけは行きなさい。絶対大丈夫だから行きなさい。」と
その言葉を支えにとにかく学校には行き続けていました。
半年経ったある日、そんな僕に授業中に話しかけてくれた人がいました。
私が今でも心から感謝している親友でした。
今でも鮮明にその時の状況を覚えています。
私にとっては泣きたいぐらい嬉しい時間でした。
その後は友達もでき、それなりに楽しい学校生活を送ることができましたが、
大好きな野球に再挑戦するわけでもなく、
以前の学校の時のような明るい性格には戻りませんでした。
自分に自信をなくし、
人に嫌われないようにするにはどうしたらいいか考えるようになり、
人の行動をよく観察するようになりました。
高校時代~大学時代
今の仕事を始めたきっかけ
親友の頭が良かったので頑張って受験勉強して、同じ高校に通うことができました。
通い始めると勉強についていけないにも関わらず、全く勉強しませんでした。
常に学力は最下位争いを繰り広げていました。
この頃に夢や目標を持っていれば、人生変わっていたと思います。
部活は今までやったことのない球技をしてみたいと思い、
ハンドボール部に入部しました。
ハンドボールは肩の強さ・ジャンプ力・筋力・スタミナ・俊敏性など
何もかもが必要なスポーツで
今考えても、人生で一番難しいスポーツでした。
少しずつ自分が成長できていることが楽しく、毎日練習に明け暮れていました。
高校3年間は特に成果は得られませんでしたが、
友人にも恵まれ、充実した高校生活でした。
大学時代はサークル活動に明け暮れていました。
大学と連携してイベントを実施するサークルに所属しました。
サークルに加入したとき、先輩は4年生しか在籍しておらず、
1年後、サークルの会長を決める時に
今までの自信のない自分を変えたいと思い会長に立候補しました。
その後、3年間サークルの会長を務める経験をさせてもらいました。
この経験をしたことで、自分に少しだけ自信を持てるようになりました。
イベントに参加する学生を楽しませることや
メンバーと協力して何か成果を出すことが楽しかったこともあり、
お客様に直接関わり商品を販売する仕事
従業員と協力して成果を出す仕事がしたいと思い、
小売業界のスーパーの店員になりました。
22歳~30歳
会社員の辛さを知る
入社して知ったのはスーパーでの仕事は想像よりも過酷でした。
肉体労働で毎日筋肉痛が取れないほどでした。
私は鮮魚担当として配属されました。
社内研修はあったものの全く今までの人生で魚と包丁に触れてこなかったので
捌く技術の習得に苦労しました。
魚を捌く以外にも売上管理、発注、売場計画、従業員の管理、お客様対応など
様々な仕事を覚えてこなす必要があったので、
入社1年目、2年目の時は朝5時~閉店までほぼ毎日働いていました。
それでも毎日何か知識を得たり、売上という成果を得ることできたので
楽しく前向きに働くことができていました。
ちなみに、今は働き方改革でこんな働き方をしている人はいません。
順調に昇進し、チーフという立場になり自分の実績を積み上げていくことができました。
自分の意見を持つようになった時、会社員の辛さを知りました。
上司の評価です。
当時、私はチーフという立場で店長と
商品の販売方法や部門運営について対立していました。
顔を合わせば否定される。
そんな日々を過ごしながらも営業数値の予算は達成していました。
賞与支給になった時に同じ業績の社員と金額の話になりました。
なぜか私の評価だけ低く、支給金額が約60%になっていました。
昇給試験の時には評価が基準に達さず、
受験するチャンスすらもらえませんでした。
与えられた営業数値を達成していても評価されず、
この会社では、上司との関係性が一番評価に繋がる。
この状況に疑問を持ち、上司とこの会社への不信感がつのり転職を決意しました。
31歳~33歳
自分を見つめなおすきっかけ
転職活動を始めると
私の市場価値は低く
小売業界のみでしか通用しないことが判明しました。
結局、同業他社の今の会社に転職することになりました。
新しい会社は前職と比べて同じ業務内容で社内ルールが異なる程度ですぐに仕事には慣れました。
また1からのスタートで作業要員として働く日々が始まりました。
何をやってもダメ出しをされる日々で、また自分に自信が持てなくなりました。
しかし、転職して良いこともありました。
休日が前職に比べて増えたことです。
社会人になってから今まで勉強をしてこなかったので
自己啓発本を中心に月に最低1冊は読むことから始めました。
本から色んな考え方を得たことで、自分のことを見つめ直すようになりました。
次こそは自分の価値を高めて会社に貢献したい
この感情が生まれてからしばらくして
YouTubeを観ていると勝 友美さんの-VICTORY CHANNEL-と出会いました。
34歳~現在
自分を変えたいと思った瞬間
美人な方だなと下心満載で-VICTORY CHANNEL-の動画を観始めましたが
内容が刺さりました。
仕事に真剣に全力で向き合っている姿が尊敬でき、
何よりも「夢を持つことのすばらしさ」を体現している姿を観て
素晴らしい人だな
こんな考えの人になりたいと思いました。
ある日、勝さんがオンラインサロンを始めると告知がありました。
勝さんから色んな考え方を学びたいと思い、すぐに入会しました。
このオンラインサロンを通して
WEBマーケティングという仕事があることを知りました。
初めは、タイピングやパソコンが苦手な私はできないと決めつけて
情報だけ得て満足していました。
コンテンツを重ねていくにつれて
WEBを使わなくても
今の販売の仕事に学んだことを活かせると気付きました。
「でも何かちがうな」
この頃から目の前にある魚を販売することだけではなく、
もっと何か違うことに
WEBマーケティングの知識を活かせないのかなと漠然と思うようになりました。
ただ行動力も自信もない私は考えるだけで何も始めようともしませんでした。
入会して1年半経った頃、
WEBマーケティング講座の講師の青木創士さんから
WEBマーケティング基礎総合スクールを開催すると告知がありました。
正直、申し込みするのか迷いました。
今まで何も成し遂げたことがない自分にやり切れるのか
とにかく自分に自信がなかったからです。
「人生を変えたい人に受講してほしい」
青木さんのこの言葉を聞いたときに
WEBマーケティングを学んで自分が何がしたいのかを真剣に考えました。
- 魚を販売すること以外に自分の価値を見出し、自信をつけたい。
- スーパーの鮮魚売場という狭い環境で働くよりも
WEBという広い環境で仕事をして新しい経験を積みたい。 - 学んだ知識を活かして
世の中に自分の価値、自分の商品を届けたい人の助けになりたい。
自分が変われるラストチャンスだと思いスクールに申し込みました。
理想の未来にむけて
人生を笑って過ごせるように
このスクールで学びを進める中で、理想の未来が見つかりました。
- 稼ぐ力を身につけて年収600万円以上稼ぐ
- 人に左右されない人生を送る
- 働く場所を自分で選択する
- 将来のお金の不安や悩みをなくし、家族と笑顔で過ごす
この理想の未来を目指す第一歩として
1年でWEBマーケティング基礎を身につけて
2年以内に月収50万円以上稼ぐ力をつけてフリーランスを目指す
と覚悟を決めました。
私はこれからこの目標を達成するために1年間スクールにて
WEBマーケティング基礎を身につけることに努めます。
そして学んだことをブログを通してアウトプットしていきます。
私のように40歳を前にして
自分に自信がなく
将来が不安で人生に迷っている方が
自分を変えるための一歩を踏み出す勇気を届けたいと思っています。
WEBスキル0の魚のことしか知らないスーパーの店員が
2年以内に月収50万円稼ぎ、会社員を辞めフリーランスとして働く
本当にこんなことができるのか、もしよければ見に来てください。
何をしたらどんなスキルを身につけたら実現できるのか
その過程をこのブログでは発信していきます。
35歳独身、人生いろいろ焦っていますが、
ここは一度冷静になって、自分を磨き、男を磨き、
今後の人生を笑って過ごせるように頑張ります!
最後まで読んでいただきありがとうございました!